バイバイしない友達(1)
中学生の頃、友達と別れた帰り道、夏の日差しの中でぼうぼうの荒れた草むらの道を歩きながら、なぜか涙が流れ落ちたことがあった。
別にその日特別に悲しいことがあったわけじゃない。だけど、なぜか人生が辛く感じていた。同調圧力に支配された学校は息が詰まる場所でしかなく、さっき別れた仲の良いはずの友達との時間ですら、緊張に包まれていた。
その年の秋、肌寒くなってきた頃、同じクラスの男子に告白された。授業中も休み時間にもしょっちゅう話すような仲の友達だったから、正直意味がわからなかった。こわいと思った。
友達すら恐怖の対象なのだ、恋愛なんて尚更できるわけがない。一方的に好きだなんだと言って、彼は私の何がわかるというのだ。彼が何を考えているのかわからず、夜、ベッドの中で泣いた。
彼との交際を断ることで、私は1人友人を失ってしまった。それはとても悲しいことだった。
翌年の春にも別の男子から告白された。その人とはよく一緒に下校していたけれど、そんなことになるなんて想像もしていなかった。
今度は友達を失いたくなくて、濁した返答をしてしまった。デートらしきことをしたりもした。だけど駄目だった。
その人は別に好きな女の子ができて、私にさよならと言った。私はまた1人、友人を失った。
気づけば私は高校生になっていた。
同じ部活で話していて楽しい男の子がいた。その子のことは率直に言って好きだったと思うけれど、他の女の子が言うような「付き合いたい」というような気持ちとは違うように思えた。
私には、たとえば二人きりでいたいとか、手をつないだりキスをしたいと思ったりとか、そういう欲求はなかった。
だけど、一緒に下校して別れたとき、なぜかいつも物悲しい気持ちになった。時間もないのに、無駄にまわり道に付き合ってもらったりした。
私が悲しくなるのは、彼に対してだけではなかった。同じ部活の誰と帰っていても、別れ時が悲しくて仕方なかった。17時の部活終了のチャイムが憎らしかった。
どうしたら、悲しくなくなるのだろう。
分からなくて、そのうちの一人に「好き」という言葉をぶつけた。多分それは告白というものだったと思う。
彼は困ったような反応で、いわゆる男女交際はできないけれど、あなたのことは大事な仲間だと思っている、というような言葉をくれた。なぜかまた涙が流れた。その言葉がとても嬉しかったのだ。少なくとも、自分勝手にぶつけた言葉に対して、丁寧に言葉を返してくれた、それが嬉しかった。
だけど悲しみはなくならなかった。他の人との帰り道はまだずっと悲しいままだったし、それを伝えても友達が減るだけだった。
あるとき、ある女の子が教えてくれた。
「めるしー、それは『さみしい』んだと思うよ」
そう、私は悲しいのではなく、寂しかったのだ。