めるしーの日記

ただの新米ママ。笛が吹きたい。

娘、1歳。あれから、1年。

今月、娘が1歳になりました。

 

前回の投稿で寝返りしたって書いてありましたが、いつのまにか、おすわりするようになり、つかまり立ちするようになり、離乳食も終わりかけ、あと少しで歩けそうなところまで来ています。

 

あれから1年経って、お産の苦しみはもうおぼろげな記憶になって、もう二人目もほしいなんて思い始めているのだから、都合のいいいきものだなー、なんて思います。

 

娘が1歳ということで、私もママ歴がやっと1歳になったばかり。わからないこともできないこともあって当然で、まだ娘の離乳食作りすら、わたわたしてしまうこの頃だけど、どうにかこうにか生きています。

 

また思いついたらこちらでも細々と書いていこうと思います。

バイバイしない友達(3)

バイバイしなくて済む方法なんて、考えてみればたった一つ。

それは一緒に住むこと。もっと言えば、結婚することだった。

 

昨日の夜、ふとそんなことに気づいた。

夫と一緒に住むようになり、結婚してから、心の隙間風のようなものは、気づいたら消えていた。

 

夜遅くまでくだらない話に花を咲かせ、一緒にテレビを見て笑って、夜は一緒に眠って、朝は一緒に目覚める。

 

多分それを幸せというのだろう。私にとって夫は、世界でたった一人の、「バイバイしなくて済む友達」なのだ。

 

相変わらず夫に対しても、キスしたいとか、その先のことをしたいとか、そういう欲求はないけれど、別にできないこともないから。それに、身体的接触を持つこととか、こどもを産むとか、そういうのは些細なことで、本質じゃない。私にはそう思えた。

 

人によってはそれを、「恋愛じゃない」「ただの依存」と切り捨てるのかもしれない。

だけどそれによって、私の命は救われて、ひとつの可愛い命も生まれて、だったらそれでもいいんじゃないのかな、と思う。

 

たった一人の、バイバイしなくて済む友達。

私は今日も、彼の帰りを心待ちにしている。

バイバイしない友達(2)

私の行った高校は進学校で、人生になんの展望も持てない私と異なって、他の人はみな忙しそうだった。

勉強に部活に、忙しい間をぬって、みな私のために時間をとってくれた。

先生も、カウンセラーも、部活の仲間も、クラスメイトも、男友達も、女友達も。

 

私のつまらない話に、「さみしさ」に付き合ってくれた。それでも心にはいつも隙間のようなものがあって、そこにはいつも冷たい風が吹いていて、自分一人では耐えることが難しかった。

しょっちゅう、飛び降りようとベランダに出てみたり、腕をカッターで切っていた。そうしてほんの少しの痛みを感じることで、生きている実感がもてる気がしていた。

 

だけど、いつまで経っても、「さみしさ」がなくなることはなかった。

 

浪人生になり、大学生になり、私の「さみしさ」は留まることを知らず、仲の良い女友達にすら好意を伝えるようになった。

別に彼女たちと恋愛的に交際したかったわけではなかった。その頃になるとだんだん私も気づきはじめていた。

 

私はただ、「バイバイ」したくなかったのた。

バイバイしない友達(1)

中学生の頃、友達と別れた帰り道、夏の日差しの中でぼうぼうの荒れた草むらの道を歩きながら、なぜか涙が流れ落ちたことがあった。

別にその日特別に悲しいことがあったわけじゃない。だけど、なぜか人生が辛く感じていた。同調圧力に支配された学校は息が詰まる場所でしかなく、さっき別れた仲の良いはずの友達との時間ですら、緊張に包まれていた。

 

その年の秋、肌寒くなってきた頃、同じクラスの男子に告白された。授業中も休み時間にもしょっちゅう話すような仲の友達だったから、正直意味がわからなかった。こわいと思った。

友達すら恐怖の対象なのだ、恋愛なんて尚更できるわけがない。一方的に好きだなんだと言って、彼は私の何がわかるというのだ。彼が何を考えているのかわからず、夜、ベッドの中で泣いた。

彼との交際を断ることで、私は1人友人を失ってしまった。それはとても悲しいことだった。

 

翌年の春にも別の男子から告白された。その人とはよく一緒に下校していたけれど、そんなことになるなんて想像もしていなかった。

今度は友達を失いたくなくて、濁した返答をしてしまった。デートらしきことをしたりもした。だけど駄目だった。

その人は別に好きな女の子ができて、私にさよならと言った。私はまた1人、友人を失った。

 

気づけば私は高校生になっていた。

同じ部活で話していて楽しい男の子がいた。その子のことは率直に言って好きだったと思うけれど、他の女の子が言うような「付き合いたい」というような気持ちとは違うように思えた。

私には、たとえば二人きりでいたいとか、手をつないだりキスをしたいと思ったりとか、そういう欲求はなかった。

だけど、一緒に下校して別れたとき、なぜかいつも物悲しい気持ちになった。時間もないのに、無駄にまわり道に付き合ってもらったりした。

 

私が悲しくなるのは、彼に対してだけではなかった。同じ部活の誰と帰っていても、別れ時が悲しくて仕方なかった。17時の部活終了のチャイムが憎らしかった。

どうしたら、悲しくなくなるのだろう。

分からなくて、そのうちの一人に「好き」という言葉をぶつけた。多分それは告白というものだったと思う。

彼は困ったような反応で、いわゆる男女交際はできないけれど、あなたのことは大事な仲間だと思っている、というような言葉をくれた。なぜかまた涙が流れた。その言葉がとても嬉しかったのだ。少なくとも、自分勝手にぶつけた言葉に対して、丁寧に言葉を返してくれた、それが嬉しかった。

 

だけど悲しみはなくならなかった。他の人との帰り道はまだずっと悲しいままだったし、それを伝えても友達が減るだけだった。

あるとき、ある女の子が教えてくれた。

「めるしー、それは『さみしい』んだと思うよ」

 

そう、私は悲しいのではなく、寂しかったのだ。

娘が寝返った

こんにちは、めるしーです。

娘が生後6ヶ月になろうという今日この頃ですが
つい先日、娘が寝返りをできるようになりました。

ただそれだけなんですけど。

最近はすぐにくるっとなるので、仰向けに寝ているばかりだった頃とは変わり、目が離せなくなりました。

わりと今までチートかっていうくらい、楽させてもらってたので、やっと子育て始まったな、という感じです。

おそらく今後はもっともっと大変になるのでしょう。
今から怖い反面、楽しみでもあります。

ほんとそれだけです。では。

私、成長してる。

今週のお題「〇〇の成長」


ということで、記事を書いてみる。
このお題で私の今の状況だったら、子供の成長の話に持ってくと見せかけて、違う話です。(笑)


子供を産んでから、色々なことが変わった。
色々というか、大げさでなく世界の見え方全てが変わってしまった、そんな感じだ。

そんなことを書くと、ラノベとかセカイ系のアニメとか中二病患ってるようにみえるんだけど。


というのも、私には幼い頃から、漠然と希死念慮があったのだ。最初に自覚したのは幼稚園の頃、ジャングルジムのてっぺんで、いじめに遭いながら、今ここで消えてしまいたいと思った。ここから飛び降りたら死なないかな、まぁ死なないだろうけど、というような感じ。

その後も、詳しくは省くけど、高いところから飛び降りようとしたり、カッターで身体を傷つけたり、好きでもない男性と性的関係を結ぶことでメンタルを痛めつけたり、自傷行為に及ぶことは数知れず。

そんな私だったが、高校大学と、成長していくにつれ、友人に恵まれ、恋人に恵まれ、最終的に夫というパートナーを得ることになった。
それが、2017年の夏のこと。

翌年2018年の2月に入籍し、その年の12月には結婚式を挙げた。ドタバタとイベントが過ぎて行き、ホッとしたのも、束の間、2019年の年明けである。ひょんなことから、妊娠が発覚した。

正直、心の準備などできていなかった。
今思うと、結婚式後の浮かれた心のまま、夫が子供をつよく望んでいたから、そして大好きなこの人の子なら産んでみても良いのかな、と少し甘く見ていたように思う。

あれよあれよという間に、妊娠してからの期間はあっという間に過ぎて行き、気づけば出産の日を迎えていた。

あの日から、もう2ヶ月が経つ。

前の記事にも書いたけど、出産はそれはそれは壮絶な体験だった。まず何より痛かったし、苦しかったし。
でもそれよりももっと辛かったのは、心だった。

まず、私は母乳が出なかった。
母も祖母もそうだったと聞いていたから、覚悟はしていた。でも、どうしても一度くらいは、あげたかった。免疫力もつくというし。愛着に関する話だってどうしても気になった。自分自身も愛着に問題を抱えていたから、尚更だった。


助産師さんに協力してもらって、毎日マッサージしてもらったけど全然だめで、ついには乳首を含ませただけで娘は激しく泣くようになった。
当然である。だって一滴も出ていないんだもの。

母乳は赤ちゃんに吸ってもらえないと出るようにはならない。わかっていても、息ができなくなるまで泣き続ける娘が不憫でならなくて、私はついに母乳を諦めた。それまで毎日毎日、涙が止まらなかったけど、諦めたらその日を境に、ふっと楽になった。


あの日から、もう2ヶ月。
まだ赤ちゃんである娘のことをどんなに考えて行動しても、思うようにならないことのほうが多くて、夕方は泣き止まないし、夜はなかなか寝てくれなくて、辛くていまだに涙が止まらない日もある。


それでもあるとき、気づいた。
希死念慮は消えてない。だけど、死のうという気持ちは自然と消えていた。大好きな夫の存在をもってしても、消えなかったのに。

自分が世話をしなければならない一人のか弱い存在かいる、たったそれだけで、強くならなければならなかった。成長しなければならなかった。

今でも、希死念慮は消えてない。
時々意味もなく消えたくなる。いなくなりたくなる。

だけど、自殺行為はもうしないと思う。
娘を、母に自殺された子どもにしたくない。
思うことは、ただ、それだけだ。



私は、成長しただろうか。
多分、そんな気がするだけ、まだましなのかもしれない。

こどもを産みました。【出産覚え書き】

ご無沙汰してます。めるしーです。

2019年9月14日、17時48分、女児を出産しました。

気づいたらあれから2ヶ月経ってしまいまして、既に出産の壮絶な記憶が失われてきてるので、今更ですが出産のレポ&感想の覚え書きを晒しておきます。

↓メモ書きほぼそのままですが、長いです。


・チョロチョロ破水があり、前々日に入院
夫も泊まり込みで付き添ってくれる

・前日7時から16時くらいまで
促進剤で誘発するも、ちゃんとした陣痛にならず

・当日また7時から、前日の倍のペースで誘発
陣痛は大して強くならず(ちょい重い生理痛くらい)
14時頃に人工破膜、赤ちゃんの膜を手で破ってもらう→本格的破水
、お湯みたいのがだーって出てくる
直後から今までと比べ物にならないくらいの痛みがあらわれる

・途中、他の家族に連絡のため、夫が抜けたときからヒイヒイ言い出して、戻ってきたころには叫び始めてる

・お産の体勢になるまでもつらいが、なってからもいつどこまでいきめばいいかわからず、痛みの波のたび、お尻に勝手に力が入るのが辛かった

・夫はひたすらテニスボールぐいぐい
でも助産師さんのほうが力があってやっぱりすごかった

・15時半くらい?からお産の体勢に?
周りもバタバタし始める
ときどき夫にお尻を押さえてもらう

・17:48 ベビちゃん誕生
46cm 2606g 感無量です

・産後に食べた、病院食の梨が死ぬほどおいしかった


↓その他、思ったこと

・呼吸法、腹式呼吸だいじ、いきむタイミングも助産師さんに教えてもらう、上手くいきめたとき誉めてもらえてよかった

・産みながらふと、昔の人とかマリアさまとか、お産大変だったろうなとおもう
とりあえずマリアさまに祈りまくった

・赤ちゃんがぬるっとでてきた瞬間の解放感すごい、頭の中に快楽物質がうわーっと出てきて、それが翌日までずっと抜けない、興奮して寝られない

胎盤が出るまで、出きってない感が地味に辛かった、産後の処置、子宮から血を抜くやつ?痛くてヒイヒイ言ってた

・↑に比べれば会陰縫合はあまりつらくない、私はあまり切れてなかったのもある



↑まとまってませんが、これが当日興奮した頭で残したメモのようです。


本人としては壮絶なストーリーだったのですが、結果として本格的な陣痛始まってからカウントなので、分娩時間は4時間半と、ものすごく安産だったみたいです。
会陰切開もせずとも、大して切れず(経産婦さんよりすごいと言われた)に傷の治りも早かったらしい。(それでも痛いものは痛いけど)


とりあえず、母子ともに健康でほんとによかった。
そんな感じの出産でした。。