めるしーの日記

ただの新米ママ。笛が吹きたい。

私、成長してる。

今週のお題「〇〇の成長」


ということで、記事を書いてみる。
このお題で私の今の状況だったら、子供の成長の話に持ってくと見せかけて、違う話です。(笑)


子供を産んでから、色々なことが変わった。
色々というか、大げさでなく世界の見え方全てが変わってしまった、そんな感じだ。

そんなことを書くと、ラノベとかセカイ系のアニメとか中二病患ってるようにみえるんだけど。


というのも、私には幼い頃から、漠然と希死念慮があったのだ。最初に自覚したのは幼稚園の頃、ジャングルジムのてっぺんで、いじめに遭いながら、今ここで消えてしまいたいと思った。ここから飛び降りたら死なないかな、まぁ死なないだろうけど、というような感じ。

その後も、詳しくは省くけど、高いところから飛び降りようとしたり、カッターで身体を傷つけたり、好きでもない男性と性的関係を結ぶことでメンタルを痛めつけたり、自傷行為に及ぶことは数知れず。

そんな私だったが、高校大学と、成長していくにつれ、友人に恵まれ、恋人に恵まれ、最終的に夫というパートナーを得ることになった。
それが、2017年の夏のこと。

翌年2018年の2月に入籍し、その年の12月には結婚式を挙げた。ドタバタとイベントが過ぎて行き、ホッとしたのも、束の間、2019年の年明けである。ひょんなことから、妊娠が発覚した。

正直、心の準備などできていなかった。
今思うと、結婚式後の浮かれた心のまま、夫が子供をつよく望んでいたから、そして大好きなこの人の子なら産んでみても良いのかな、と少し甘く見ていたように思う。

あれよあれよという間に、妊娠してからの期間はあっという間に過ぎて行き、気づけば出産の日を迎えていた。

あの日から、もう2ヶ月が経つ。

前の記事にも書いたけど、出産はそれはそれは壮絶な体験だった。まず何より痛かったし、苦しかったし。
でもそれよりももっと辛かったのは、心だった。

まず、私は母乳が出なかった。
母も祖母もそうだったと聞いていたから、覚悟はしていた。でも、どうしても一度くらいは、あげたかった。免疫力もつくというし。愛着に関する話だってどうしても気になった。自分自身も愛着に問題を抱えていたから、尚更だった。


助産師さんに協力してもらって、毎日マッサージしてもらったけど全然だめで、ついには乳首を含ませただけで娘は激しく泣くようになった。
当然である。だって一滴も出ていないんだもの。

母乳は赤ちゃんに吸ってもらえないと出るようにはならない。わかっていても、息ができなくなるまで泣き続ける娘が不憫でならなくて、私はついに母乳を諦めた。それまで毎日毎日、涙が止まらなかったけど、諦めたらその日を境に、ふっと楽になった。


あの日から、もう2ヶ月。
まだ赤ちゃんである娘のことをどんなに考えて行動しても、思うようにならないことのほうが多くて、夕方は泣き止まないし、夜はなかなか寝てくれなくて、辛くていまだに涙が止まらない日もある。


それでもあるとき、気づいた。
希死念慮は消えてない。だけど、死のうという気持ちは自然と消えていた。大好きな夫の存在をもってしても、消えなかったのに。

自分が世話をしなければならない一人のか弱い存在かいる、たったそれだけで、強くならなければならなかった。成長しなければならなかった。

今でも、希死念慮は消えてない。
時々意味もなく消えたくなる。いなくなりたくなる。

だけど、自殺行為はもうしないと思う。
娘を、母に自殺された子どもにしたくない。
思うことは、ただ、それだけだ。



私は、成長しただろうか。
多分、そんな気がするだけ、まだましなのかもしれない。